Issue 課題
- 急速に拡大した 未知の感染症
- 2019年12月、中国・武漢市で第一例目となる感染者が報告された。その翌月には日本においてもクルーズ船の集団感染が発生し、政府は国際医療福祉大学にも協力を要請。理事長は即断即決で申し出を受け入れ、急遽、数十名におよぶ医療支援チームが結成された。幸いだったのは、国家戦略特区として政府と協議しながら開設準備をしていた成田病院が「アジアを代表する国際的なハブ病院」を目指していたことだった。成田国際空港至近で病原体対策を行う「感染症科」「国際臨床感染症センター」「第一種感染症病床等」の設置も予定されていたため、半年ほど前には大学教員として専門医師が着任。早期からPCR検査等の最新機器の導入、検査体制の研究が進められていたのだ。しかし、未知のウイルスの感染力は凄まじく、次第に日本全土へと感染は拡大。日々、感染者数が増加するなかで、大学内でも成田病院開設の前倒しが議論されるようになる。
日本の危機を前にして、
躊躇している時間はなかった。
一木医療人としての使命感、とでも言えばよいのでしょうか。クルーズ船でクラスターが発生したとき、学内の医師、看護師、そして事務職員にいたるまで全員が「1秒でも早く」という想いを共有していました。当時は「明日にでもすぐに」というスピード感が求められる状況でしたが、誰もができない理由よりも「どうやったらできるか」を議論していました。日本という国家の有事に、採算や利害など検討している時間も余裕もありませんでした。

Solution 解決策
- 医療人として、今できることを
- 政府の要請を受け、成田病院は開設時期の前倒しを決意。医療機器の搬入など決して万全な状態ではなかったが、病棟の間取りや検査方法、人員配置、職員の感染予防などの体制を一から見直し、最大限、患者を受け入れられるように環境を整備していった。開院は2020年の3月16日。受付開始とともにまるで堰を切ったかのように患者が押し寄せ、現場のスタッフが恐怖を感じるほど、あっという間に病床が埋まっていったと言う。この満床状態が途切れることはなく、不休の検査・治療は医療従事者を疲弊させ、布団などの備品も使い捨てのためコストも際限なく膨らんでいった。当時はまだ、政府や自治体の支援金、助成金もない状況である。それでも成田病院は人員ローテーションや休暇制度、危険手当といった労務環境の改善にも取り組み、未知のウイルスがふるう猛威に対してひるむことなく前進を続けた。
大勢の人たちの声援が、前に進む勇気をくれた。
一木終わりの見えない感染症との闘いは苦労の連続でした。それでも私たちが前進できたのは、周囲の方の声援があったから。特に近隣の小学生から感謝のメッセージカードがびっしり詰まった冊子を受けとったときは不覚にも目頭が熱くなりました。無償で院内の作業を手伝ってくだった航空会社の方々。寄付金を託してくださった方々。たくさんの方の支えがなければ、私たちが完走することはできなかったと思いますし、医療に関わる一人の人間として、やるべきことをやった、と感じています。

Outcome 成果
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コロナ禍の知見を、
次の対策に紡ぐために - 2023年、コロナウイルスは5類感染症に移行した。今回のパンデミックは収束に向かい、成田病院にもかつてほどの慌ただしさは見られない。だが、これは大学病院としての新たな始まりでもある。どのようにして感染症が侵入し、どのようにしてパンデミックとなるのか。そして、どのような治療体制、労務体制を組むべきなのか。最前線で重篤患者の治療にあたった国際医療福祉大学には、この4年間で培ってきた膨大なデータ、膨大な知見が蓄積されている。当然、すべての命を救えたわけではない。だが、その悔しさを次につなげることもまた、医療人としての使命ということなのだろう。データを活かした最先端事例の研究、経験を活かした各所での講演会。ノウハウを余すことなく防疫の底上げにつなげようと、成田病院は今も闘い続けている。
医療従事者が使命を全うできるよう、
事務局長としての使命を全うしたい。
一木使命感だけで乗り切れるほど、パンデミックは甘くありません。命の危険すらある現場では医療従事者の安全確保が必要不可欠ですし、闘い続けるためには健全な労務環境も整えなければなりません。事務職の使命は、医療従事者が使命を全うできる体制をつくること。今後はコロナ対策をしっかりと評価・検証し、有事の際の体制づくりを仕組化していきたい。そして、いずれは今回の教訓を日本全土に啓蒙していきたいと考えています。